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ねこ

 

10月10日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日)で杉田かおるさんが人生を反省するために出演されました。

 

なかなかの壮絶な人生ですので、そこからどんな気づきと反省をしたのかをまとめWikipediaではたぶん載せないだろう・・・内容を過去から現在までを記事にしました。

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じっくり杉田かおるさんの黒歴史をなぞりながら、当時の社会情勢なども重ね懐かしみながら読んでみてください。

私は杉田かおるさんの「パパと呼ばないで」から見てますから、懐かしくなりました。

 

杉田かおるのしくじり先生内容

 

田かおる先生の栄光と挫折

概要>芸歴44年の歴史

1972年:ドラマ「パパと呼ばないで」7才でデビュー

代表作:「3ねんB組金八先生、池中玄太80キロ」などでは(鳥の詩などが大ヒット、当時15才

2004年:「負け犬キャラ」で大ブレイク(同期のスターには矢沢永吉、西城秀樹、森昌子などがいる)

当時はロンブー敦のイジりも手伝って、本気モードの暴言連発で大ブレイク

同年:「24時間テレビマラソンランナーにも選ばれ一躍国民的人気タレントに。

この年のテレビ出演本数は219本に及ぶ。

 

この当時の杉田の目つきが「やったらあ!」みたいな目だと若林正恭(オードリー)が指摘。

スキャンダルで雑誌に掲載された数は180回以上に及ぶ。

 

雑誌の中身は借金1億円、家庭崩壊、芸能人とガチ喧嘩&イジメ、セレブ婚&超スピード離婚・・・

某MCを激怒させ10年間バラエティを封印する。

 

石立鉄男から突然の誘い。

後に自然農法との出会い。

一般男性との結婚。

 

ての原因は杉田かおるの考え方(暴君)

  • 常に自分の考えが「絶対」だと思っていた。
  • 周囲の意見は全く聞き入れず、常に自分が正しいと貫いた。
  • 自分がルールを作る。

これが暴君の始まりとなった。

パワハラ・モラハラ・セクハラ」これらを一緒くたにしたのが私です。と杉田はいう。

 

第一章:暴君への道

近所の子が劇団に入っていたので、じゃあ私もという軽い気持ちで劇団に軽い気持ちで入ったのが芸能界へドップリと浸かってしまう最初のきっかけだった。

パパと呼ばないで」(1972年)が杉田かおるの初女優デビュー作となる。

 

周りは芸能界の大人達ばかりで大人の世界に触れた杉田はこれがきっかけで暴君となっていく。

具体的には周りの大人達の汚い部分を目撃し、杉田は子供ながらにショックを受ける。

 

  • 家事ができそうな女優が本当は一切できない
  • 優しい俳優がウラでイジめる
  • スターが裏で記者にお金を渡していい記事を書いてもらっている

 

などの、裏側を見たと話した。結果、大人の社会は汚いと思ったという。

現在のようにネットで情報が広まらない時代なので、裏では汚くても良いイメージが広まってしまう時代だったと杉田は語る。

※(番組収録中)杉田がここで清水さんはそういう汚い部分を見たことがあるかと質問。

 

 

清水富美加は「あります」でも誰とは言えないと答えた。

オードリー若林が「内容も?」の問いに「内容も言えません」と答える。

彼女にどんなことがあったのか気になるが、先に進もう。(朝ドラ時の高畑関係だろうか・・・?)

 

そして家庭環境も荒れていたという。

父親は別の女性の所へ入り浸り、母親は杉田の収入をあてにし昼から酒浸りだったと。
(現在は母の介護をしながら仲良く暮らしている)

汚れた大人の社会に染まった杉田はこうなったら24時間天才子役を演じてやると決意する。

 

1:現場では一切台本は読まない。(天才感を出すため)
2:サイン会はハイヤーをチャーターして乗り付ける。
3:スタッフ100人に小田原の密柑山を貸し切り大接待。(スタッフに媚びる)
4:共演者に舐められないように「かます」ようになる。当時杉田はまだ8才である。

 

この時の「かまし言葉」の一つが「芝居下手ね」だった。

これは13才年上のキャシー中島にかましたらしく、キャシーに女優業を断念させたと語った。

この件に関してはその後キャシー本人に直接会い謝罪し許してもらったそうである。

キャシーも逆に今振り返れば無理して女優業に行かなくて良かったと語ったそうである。

 

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仕事はその後4年間で

  • たぬき先生奮戦記
  • ボクは恋人
  • 山盛り食堂
  • 快傑黒頭巾
  • 鎌倉はるなつ
  • 雑居時代

 

と益々増える。と同時に学業、台本、大人達の接待と超多忙な日々でストレスはたまりまくり、限界だったと当時を振り返る。

 

そして、ついにストレスが大爆発することになる。

矛先は学校の同級生に向けられた、同級生を見下す行為に出る。

シカトする相手には「ビンタ」、ちょっかいを出す者には「大外刈り」でぶん投げて制圧していたと語る。

 

ちなみに男子をぶん投げるためには、自分も鍛えねばならいということで裏では特訓をしていた。

1:バットの素振り毎晩300スイング
2:学校の階段をうさぎ跳びで上がる
3:昼休みはパンを6個食べる
4:週3回は焼き肉を食べる。

 

これにより身体ムキムキになり、付けられたあだ名は「ドラム缶」実際女子プロからスカウトされたほどだという。

 

役は将来大成しないというジンクス

その頃両親は離婚し、子役は将来大成しないと言われ小学校4年生で人生お先真っ暗になったと当時を語った。

 

そして杉田は政治家を接客する芸者になろうと考える。

これは杉田自身も当時から料亭へ接待されていたという経験から発想が生まれたらしい。

当時1000万円用意してくれるクライアントも見つけていたという。

 

しかし当時芸者達の高齢化もあって料亭で会合をする政治家が減っていっている、という情報を杉田は得て仕方なく子役を続けることにしたという。

 

 

君化の加速

そして杉田はやさぐれ暴君化していく。

さらに自分の実力を超過信し、周りの意見を聞かずに暴走するのだがそれが「アイドルくらいならなれるんじゃね?」という甘い考えを産むことになる。

 

13才になった杉田は劇団をやめ勝手に個人事務所を設立する。

<当時の個人事務所データ>

  • 所在地:東京都港区赤坂(家賃15万円)
  • 社長:杉田かおる
  • 所属タレント:杉田かおる
  • 社員:3人(マネージャー2人、デスク1人)

ちなみに社員は大手のプロダクションから引き抜いてきた、さらにデスクの女性は元アイドルだった人をスカウトしたという。

当時を振り返った杉田は何のためらいもなく芸能界のタブーを犯したことをこの場を借りて謝罪した。

 

線変更

アイドル路線での活動

レコード
ユニバーサル・ミュージックから「シドロ アンド モドロ」(作詞やなせたかし)を発売。

 

プロモーション活動

しかし、全国どこへ行っても同じファンが10人だけ・・・。

というチー坊ブレイクは完全に終焉を迎えた。

 

社員からもアイドルにしては目つきが悪すぎる、路線を変更した方が良い。

などの指摘を受けるが暴君だった杉田は全く聞く耳を持っていなかった。

 

結果、社員全員から退職願を出される。

1年で事務所は倒産、中学生で300万円の借金を抱えることに。

この時初めて杉田は自分の考えは間違っていたと気付く。

杉田の「暴君」はここで終了する。杉田の教訓は

 

「切った縁 後で後悔 遅スギタ

 

 

第二章:暗黒時代

春期大暴走期

謝金の額が大きすぎて、途方に暮れていた杉田の前に救いの手を差し伸べたのが「浅井企画」だった。

浅井企画には萩本欽一・関根勤・小堺一機など所属。

 

そこへ杉田は所属し、借金を肩代わりしてもらえる。

そしてあの大人気番組の「3年B組金八先生」に出演することになる。

 

しかし当時杉田はこのオファーを受けるかどうしようかと3日間悩んだという。

理由は役柄が真面目な学級院長が妊娠・出産というショッキングなものだったため、その後の役者としてのイメージが強すぎてしまうのではないかと不安になったからだ。

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ところが借金返済のためには「やったるわ!」と引き受けることに。(当時14才)

杉田は借金返済がなかったら絶対にやらなかったと当時の心境を語った。

 

外な世間の反応

しかし現実は違った。イメージを気にしていた杉田の想いとは違い世間の評価は高く「小役から脱皮した演技派女優」という評価を得た。

 

子役は大成しないというジンクスを覆した瞬間だった。

そして世間からまたちやほやされることに・・・。

これでまた暴君が復活することに。ただし今度は「大物女優気取り暴君」へと進化していた。

1:番組ディレクターに「あんた才能ないわね」と言い放つ
2:ADに「控え室はどこ?」とブチキレる
3:大御所の監督の演技指導に「さっきと言ってることが違う」と反論してつかみ合いの大ケンカ

 

だがこれはまだましな方で・・・

 

4:上條恒彦の息子に「おとうさんが俳優だからって生意気、土下座しろ!」といった。

※ここで、オードリー若林(しくじってるとかじゃねーぞ、事件だコレは)の突っ込み。

 

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5:高校生で大物感を出すために木箱に入ったメロンをお中元で送っていた。

 

子供のくせにそんなことするなと激怒されたという。

当時の杉田にしてみれば「美味しいメロンなのになんで怒ってるんだろう」と子供の感覚で不思議に思ったらしい。

 

当時自分のことを「あたい」と呼んでいた杉田は仕事も順調にこなし借金300万円を返済し終える。

が、その後もっとギャラの高い事務所へ行くために浅井企画を辞めて移籍することに。

杉田は当時の事を収録内で謝罪した。杉田は移籍した回数は12回だとここで暴露。

 

子役デビューなので、高校生になっても子役ギャラだったのが不満だったという。

新事務所では強気でギャラを30倍にしてもらったという。今までは2万円のギャラだったが60万円もらえるようになった。

しかしまた仕事が増え、ストレスがたまって仕事したくないからとまた事務所を辞める。

 

そんな不義理なタブーを犯しても、当時は人気女優だったので仕事が減ることは無く18才でマンションの転売を始め24才にして大金1億円を手にすることが出来た。まさにバブル時代だった。

 

しかしバブルは崩壊する・・・。

 

保証人

さらに身内の保証人になって借金1億円を抱えることに。なぜ保証人になったのか、杉田は当時を振り返る。

当時は金の臭いを嗅ぎつけ杉田の周りには汚い大人達がいつも寄ってきていた、それに嫌気をさした杉田はもうもってけとばかりにやけになっていて勢いで保証人のハンコを押したと語った。

金があるから、汚い連中が寄ってくるんだと・・・・

しかし、1億が0になるならまだしも1億のマイナスになってしまう。

コレがきっかけで第二の暴君時代は終了する。

 

ここで第二章のまとめ

悩み事 相談する人 いなスギタ

 

 

第三章:シン・ボウクン

田かおるは生きていた!

<ほぼ地獄編>

借金1億を返すためにやった仕事

:旅番組で温泉に何度もつかるを繰り返した
:企業の説明ビデオに出演
:顔が一瞬しか映らない死体役なども受けた

 

(頭に斧が刺さったまま公園で死んでる役など。この時丁度お昼になり子供達が遊んでいる公園で斧が頭に刺さったままお弁当を食べたという)

 

しかしこのようなちょい役では返済しきれる額では無かったので、今まで見向きもしなかった仕事をするようになった。

 

それが、・・・

 

4:バラエティ番組の出演。

当時としては女優がバラエティに出ることは珍しい時代だった。

※(収録中)ここで杉田が清水富美加に「今借金してるからここに出てます?」と言われ慌てる清水。

これが番宣のタイミングだと気が付き「家政夫のミタゾノ」の番宣へ。

 

当時杉田はバラエティを格下に見ていたため、態度も悪くMCに「お前みたいな奴絶対に許さない」と激怒される。

それがきっかけでバラエティを10年間封印することに。

 

しかし借金返済をするために細かな仕事を暴君を抑えながらコツコツこなしてた。

そんな時マスコミから「落ちぶれ女優」と雑誌に毎日書かれまくるようになる。

「プライベートな飲酒」⇒「落ちぶれ女優毎日ヤケ酒

作品作りでヘアヌード」⇒「落ちぶれ女優が借金返済のため脱いだ

ここまで言われても、それまで杉田自身の素行の悪さが起因して誰も助けてはくれなかったという。

しかし杉田はいう、暴君の私がやったことが全てしっぺ返しとなって帰ってきたのだと。

 

バラエティ封印後10年たったとき「パパと呼ばないで」で共演していた石立鉄男から突然連絡がくる。

踊る!さんま御殿!!」に一緒に出ない?と誘われたと語る。

 

石立鉄男はさんま御殿からオファーがあったとき、「杉田かおると一緒ならでていいよ」といったとか。

めったにバラエティには出ない石立鉄男だが借金の事を気にかけて杉田を誘ったらしく、石立鉄男からはその後も一緒に他の仕事をやらないかと誘われている。

 

そのことに対して杉田は涙を浮かべながら感謝の気持ちを伝えた。

この時のさんま御殿では杉田はたまりにたまりまくっていた鬱憤をズバズバ言っていたら、笑わせるつもりがないのに大爆笑となった。つまりバラエティでウケてしまう。

 

 

け犬キャラは敦がいじったおかげ

その後杉田はロンブーにも出演し、そこから運命が大きく変わったという。

田村淳に「行き遅れた独身女」「魔王」「女優として落ち目」「友達がいない」などとイジッてもらった結果「負け犬キャラが大ブレイク!」となる。

 

その後24時間テレビでマラソンランナーをつとめ国民的タレントとして高感度もアップする。

そんな杉田が最終形態と進化した姿は「24時間暴君」!だった。

私生活、仕事、いつも暴れる暴君になった。すると、芸能人とガチ喧嘩することに。

1:大物司会者の生放送番組に怒鳴り込む(草野仁の生番組らしい)
2:人気タレントと大喧嘩して髪の毛を掴んで倒そうとする
3:収録語アイドルにブチぎれて楽屋まで追いかけまわす

 

ッシングを受けたセレブ婚

40才の時会社社長とセレブ婚」しかし、「スピード離婚」(暴君の性格発動で)

このことにより、芸能人として最も大切な高感度もどん底に・・・。

子供の頃からの性格を40才になっても改善できなかった事を受け以下の教訓となった。

 

<教訓>

しくじりの性格は時間が解決するのではない、何が原因なのかをしっかり把握し心の底から深く反省すること」とだと杉田はいう。

「上辺だけ 私の反省 浅スギタ

最終章

杉田は「自分の意見を押し通しているみなさんへ」と教訓を語った。

自分の考えを押し通してるうちに自分は全てを失ってしまった。

 

そして地獄のような日々を送る中で何がダメだったのかを見つめていましたそんな時、自然(農業)と出会い気が付いたら暴君は消えていたと。

その後、この農業が縁で一般男性と結婚し今にいたる。

「相手を変えようとするのでは無く自分が変わること」のほうが楽だと気が付いた。

今は母親の看病をしながら自然農をやり、本当の幸せを手にすることが出来たという。

 

最後は今まで多くの人たちに迷惑をかけたことに対して反省とお詫びを言って終わった。

 

 

締めくくり

以上杉田さんの人生をWikipedia風に振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか?

しかし壮絶な人生ですね。

 

やはり、人を変えようなんて無理なことですしもっと大事なことは、感謝の気持ちを忘れてはいけない。

ということだと思います。

 

感謝の気持ちがあれば、自然と謙虚になりしくじることは減ると思いますね。

 

共通点

しくじり先生をずっと見てきて思うのは、ここに登場する人達の共通点はみなさん人もうらやむような絶頂期が誰にもあり、その時期は必ず有頂天・傲慢・暴君と見事に絵に描いたような状況になっているんですよね。

 

金と権力に人は弱いんですね・・・。

 

ん・・・?私ですか?

 

 

そういう状況に絶頂期になったことがないので・・・(^_^;

 

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